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【FORZA編集長 干場義雅】編集者としての悩みも、コンプレックスだってある、それでも理想を目指す

ヒト 2020.02.18 by G-lip E 編集部

前回の記事では、最近改めてその良さが注目されているオーダーメイドスーツに迫り、失敗しない採寸の方法や着こなし方、そして、女性に好感のもたれるファッション・テクニックまで、すぐにでも実践できそうな、さまざまなアドバイスをいただきました。

干場さんといえば、ファッションディレクター、ラジオのパーソナリティ、テレビのコメンテーターなど媒体を超え幅広く活躍されていますが、いち雑誌の編集者から現在のポジションにいたるまでに、どのような信念やこだわりを重ねてこられたのでしょうか。

本編では干場さんの人となりや経歴に注目し、日頃、ビジネスパーソンとして心がけていることや、哲学、人生観などを掘り下げて伺いました!

アルバイトでの経験が、編集長となる糧になった

イノウエ

干場さんといえば出版業界では珍しく、アルバイトからたたき上げの編集長だと伺っています。

干場さん

大学には行こうと思っていました。でも、親からもらった10校分の受験費用( 30万円くらい)をすべて洋服代につぎ込んでしまって。当然大学には行けなくて。でもどうしても大学行きたかったので、予備校に通いながら、アルバイトをはじめることにしました。

イノウエ

ファッションが相当お好きだったんですね…

それを、親御さんにはなんと説明したんですか?

干場さん

もちろん内緒ですね。落ちてしまって申し訳ないと謝って、自分で予備校代は稼ぐからと、友人の伝手で、渋谷にある「BEAMS(ビームス)」でアルバイトをはじめて、世界の最先端のファッションに触れたり、接客などを学びました。

本名:干場義雅(ほしば よしまさ)東京で3代続くテーラーの家に生まれる。現在はWebメディア『FORZA STYLE』編集長/ファッションディレクター『MA-1』、『モノ・マガジン』などの編集を経て『LEON』の創刊に参画。

その後『OCEANS』を創刊し副編集長及びクリエイティブディレクターを兼任。2010年にフリーランスのファッションディレクターとして独立し、現在は商品開発をはじめ、雑誌、テレビ、ラジオ、Webなどメディアの枠を越えて活躍する。

イノウエ

日本のファッションではなく、世界の最先端のファッションを…。

干場さん

当時日本のファッション雑誌は世界からみて、最先端を走っているということは無かったんですが。

ビームスでは、海外の最先端の情報が載っているファッション雑誌を手に取ることができ、ブランドの要所を見て、店頭にある洋服を間近で触って、それを着て、お客さまに提案できたり、とても勉強になったし、楽しかったですね。

イノウエ

なるほど…

その後は、どのように雑誌の世界へ関わることになるんでしょうか。

干場さん

きっかけは、友達と表参道を歩いた時に、雑誌『POPEYE』の方に、たまたま声をかけられて、「読者のオシャレランキング」のようなページにスナップが載ることになって。

そしたら友達と一緒に1位、2位くらいに選ばれたんです。

干場さん

その雑誌に載ったことをきっかけに、他のスタイリストや編集の方から声かけていただけるようになって、モデルとして撮影に呼ばれる機会が増えていきました。

当時のアルバイトだけの収入では、好きな洋服も買えず、飲みに行くのも大変で、週5日はビームスで働いて、残り2日のどこかで、撮影に合わせるような日々だったんです。

イノウエ

撮影から雑誌ができるまでの過程を知って、干場さんも編集をやってみたいと、興味を持ったということでしょうか。

干場さん

そうですね。雑誌を作ることに興味があって、編集者になりたいと思ったんですが、出版社に入るには、頭が良くないと入れないので、えらい大変で。

周りは軒並み頭が良い人ばかり、相当難しいといわれて。

干場さん

でもモデルをやっていたので、たまたま雑誌の編集長と知り合うことができて、「20歳なんですけど、編集やらせてください!」って直談判したんです。

そしたら「君に何ができるの?!大学は?文章書ける?」と聞かれたんですが、食い下がって「ファッションのことなら誰にも負けません!」って強気でいっちゃったんですよ。

そしたら面白い奴だと思ってくれたのか、3ヵ月間下積みとして潜り込むことができたんです。

イノウエ

自分の強みを言い切ったんですね…

下積みとして、すぐに編集に関する業務に関わることができたんですか?

干場さん

これは「BEAMS」でアルバイトをしていた時と同じように、誰よりも早く会社へ行って、灰皿の交換して、犬に餌をあげて、棚の整理をして、毎朝の掃除も始業準備からやるように下積み送ってました。

すごい一面が…

干場さん

それが20歳の時で見込みがあるからと、編集をやらせていただけることになって。

初めて任せてもらえた企画は雑誌『MA-1』の読者プレゼントのコーナー。

読者にプレゼントする景品を募る電話を、NIKEにしたり。景品の写真を撮って文章を書いたり、なんとか1ページを自分で作る訓練をすることからはじめて。

イノウエ

企画ページを任されるようになって、文章を書くということも同時に学んでいったということでしょうか?

干場さん

そうですね。怖い先輩編集者たちに書き方を教わりながら、何十回も何百回もダメを出されて、「つまらねーな」って原稿をゴミ箱に捨て捨てられることもありましたね(笑)。

「ふざけんなよ!」と思ったりしながらも、締め切りもあるので、どうにか作らないとという気持ちだったと思います。

イノウエ

心折れそうですね…

当時の目標はあったんですか?

干場さん

いや、心折れそうになったこともありますよ(笑)。でも編集者の中で誰よりも早く、編集のスキルを学ぼうと必死だったんです。

わかりやすくいうと、寿司を握らせてくれないわけですよ。

魚を選んで、捌いて、ネタを切る、下積みをいつまでやっていても、上にいけない。なので、先輩の技量というかスキルを盗み取ろうとしてました。

伝えたいことブレない、発信する媒体が違うだけ

イノウエ

編集者としてのキャリアを歩み始めて、やがてテレビに出演するようになったり、一編集者の枠を超えた活躍をしてますが、そのキャリア形成は戦略的なものだったんでしょうか。

干場さん

いえ、偶然そうなったんです。テレビ出演は雑誌『LEON』の編集をやっている頃に、情報番組の「視聴者をカッコよく変身させる」というコーナーに出演したのが最初で。

その番組を見た違うテレビ局から声がかかるようになって、気が付くとさまざまなメディアに呼んでいただけるようになって。

イノウエ

活動の幅が一気に広がったんですね。

干場さん

どんなに活動の場を広げたとしても、自分の好きなモノを紹介するというスタイルと、企画づくりにはこだわり続けてます。

もちろん、その情報をどのように受け取るかは読者や視聴者の自由ですが、僕は好きなもの、綺麗なモノ、かっこいいモノを皆さまにお伝えしたいという軸は常に変わらず、伝える手段が雑誌かテレビ、Webなのか媒体が違うだけだと思っています。

イノウエ

伝えたいことが明確であれば、どの媒体から発信しても、ブレずに伝わるということですか?

干場さん

例えば、僕のYouTube番組だったら、普段言わない下ネタギャグを、あえていうことで、観てる人に楽しんで欲しいと思ってます。

干場さん

下ネタを知って欲しいわけじゃなく、そのモノの良さを知って欲しい。YouTubeは少し面白くないと観られないんです。なので発信するメディアの特性を理解したうえで、使い分けて発信しています。

イノウエ

各メディアごと、利用している年齢層も違うと思いますが、世代を問わず、観てもらえるコンテンツ作りの秘訣はあるんですか?

干場さん

メディアの特性を活かした編集は必要ですが、ファッションには正解がない、だから誰が聞いても理解できるように、わかりやすく発信するのが望ましいですよね。

そういうところで僕は、難しいことをわかりやすく解説してくれる、さかなクンや池上彰さんをとても尊敬しています。

イノウエ

大人でも、子供でも理解しやすいように発信しているお二人ですね。

干場さん発信するコンテンツで、文末に「知らんけど」と書かれているのは、どんな意図があるのか。今回の取材で、1番気になっていたところなんですが…。

干場さん

ああ(笑)。これは編集技術のひとつで「知らんけど」といれることで、少し距離をおくというか “抜け”をつくるような意図があります。

他には「あれ? 何の話をしてたんでしたっけ? (笑)」など“落ちのパターン”がいくつかあるんですが。もちろん真面目な文章を書く時もあるんですよ。

インタビューからの親しみやすさはそういうことだったのか…

干場さん

いい車とか、いい時計、いい鞄ばかり紹介していると、嫌みな雰囲気になってしまうことがあるので、最後に親しみやすさを感じてもらえるように考えたスタイルです。

コンプレックスやネガティブ要素は努力で補う

イノウエ

これまで干場さんのお話しを伺ってきて、人生の課題や目標に対して、もの凄く前向きな方だなと感じたんですが、コンプレックスはあるんですか?

干場さん

いや、ありますよ! もっと頭が良くなりたいですよね。僕が尊敬する編集長は何ヵ国語も話せたり、頭の良い編集長はいくらでもいます。

それと比べて僕はコンプレックスが多いですし、僕の編集長とはあくまで肩書き。たまたま任せていただけてるだけなんです。

イノウエ

そうなんですね…

干場さんは、なんでも熟せてしまうイメージでした。

干場さん

例えば、ライバルがいたとして、どこで差をつけるかといえば、相手が休んでいる時じゃないですか。表に出さないようにしていますが、裏でコツコツ頑張るタイプです。付け焼刃なことを繰り返しても後から崩れますから。

それに、実はすごく負けず嫌いで、一度競って負けたとしても、いつか必ず抜き返すように算段を立ててます。だから、なんでもできるように見せてるんですよ。

イノウエ

そのハングリー精神は子供の頃からあったんですか。なにかきっかけが?

干場さん

昔はね、すごくお坊ちゃんだったんです。でもある時にお金でむちゃくちゃ苦労したことがあって。やばい!自分で稼ぐしかないと。

だから苦労してないようで苦労しています。 それに、コンプレックスは皆さんあると思う。あるから努力して理想を目指してくんだと思います。

イノウエ

その中でキャリアを振り返って、干場さんが「やっておけば良かった」と思うことはありますか?

干場さん

もちろん探していけばありますよ。あると思うんですけど、常に悔いを残さないように生きています。人間は必ず死ぬんです。車で事故に合うかもしれないし、外に出たら銃で打たれるかもしれない。

いつ何が起こるか予測できない。だからやりたいことはやるようになりました。

イノウエ

何か大きなきっかけがあったんでしょうか。

干場さん

大きなきっかけは強かった父がなくなったこと。その時に、人生は無限じゃなく有限なんだと知って。

人に会えるのも、嬉しいことも、悲しいことも、今を生きているからなんです。死んだら無理なんです。だから僕のモットーは“天国NOW!”。今が天国。人生は1回だから、宇宙に行く人、総理大臣を目指す人、色々ですよね。

イノウエ

悔を残さないように生きるということですね。

ちなみに、干場さんは宇宙に行ってみたいと思います?

干場さん

僕ですか?宇宙に…?

僕は東京から大阪まで20分で行きたい人なので、もっと移動時間が短くなったら挑戦してみたいかもしれません(笑)。

まとめ

学歴がものをいう出版業界で、自身の道を切り開くために下積みを重ねてこられた干場さんのエピソードを伺い、立場的に必ずしも恵まれない環境におかれたとしても、目標や課題に対して誠実にむきあう姿勢が大切だと知りました。

自身の才能や“好き”という気持ちを信じ、さらに磨きをかける原動力として、ときに純粋な情熱だけでなく、悔しさや劣等感などのネガティブな感情を上手に操るメンタル力や、客観的に自分見つめる冷静さも必要です。

それは、自分に似合うアイテムを選ぶことのできるファッションセンスを磨くことにも通じる部分があるような気がします。ファッションも人生の成功も一日にして成らずですね。干場さん、ありがとうございました。

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